研究概要 |
過去の沖縄本島の調査結果をもとに, 本年度は次のふたつの地域の調査を行なった. ひとつは先島(石垣島およびその属島, 宮古島およびその属島)である. もうひとつは九州地方, 主として薩摩半島における現状である. 前者については, 石垣市域における明治中期より今日に至る鍛冶業の変遷史の大要を明らかにすることができた. 簡単に述べれば, 明治中期に沖縄本島北部の鍛冶屋が渡来して創業, 繁栄をみたので, その後に縁をたよって同村出身者が石垣に寄留して鍛冶屋寄留村を形成したのである. したがってその技術は本島の技術を受け継ぐものである. 現在, 間取り調査にもとづき, 戦前の鍛冶場を再現, 図面化しつつある. これによって南方鍛冶技術の基本的様式を示しうる. 次に, 石垣島属島について, 島ごとに(石垣島の在においても), 特異な村内鍛冶の形態がみられたことが明らかになった. 島の村落を東西ふたつに分って, それぞれが鍛冶小屋を所有し, 村人の中から一定期間鍛冶屋(カゼク, カザク)になる者を決めてその業にあたらせるのである. これについて近年まで伝承が続き, 実態をほぼ知りえるのは波照間島であるが, 竹富, 小浜, 黒島でもその断片は伝えられてきている. そして, この冶金屋の存続(あるいは鍛冶小屋も含めて)にフーチ祭(鞴祭)が重要なものであったことも分ってきたが, 先島のフーチ祭の性格はかなり複雑でまだ十分分らない. 次に九州南部の鍛冶については, 加世田を中心とした鎌鍛冶を中心に下級郷士との関係がある程度明らかになったし, 東岸に影響をあたえた土佐流との相違も分ってきたが, 枕崎を中心とした農鍛冶の伝承がまだよく分からない. 奄美大島において坊ノ津出身の鍛冶の出稼ぎが知られているが, 系譜的にみると枕崎からの流れのようで, 枕崎鍛冶はまた薩摩半島内部山地からの流れであって, 金山との関わりを調べる必要がある. しかし, 技術について相当明らかになった.
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