平成元年度は、昭和63年度が南北朝・室町時代の民衆運動を検討したのにつづいて、室町時代から戦国時代にかけて展開した民衆運動について、宗教・意識・闘争などの分野を重視して研究をおこなった。 東京大学史料編纂所・京都府立総合資料館において関連史料の調査と蒐集をおこない、さらに、民衆運動の展開した地域に赴き現地調査をおこなった。現地調査において、京都八坂神社の御霊会にかかわる祇園祭を見学した。祇園祭が応仁の乱によって中断したのち、明応9年(1500)に京都町衆の力によって復活したこと、戦国争乱のなかで室町幕府が祭の中止を決定した時、町衆が山鉾の巡行のみはおこないたいと主張したことなどは周知の事実であるが(『祇園執行日記』)、民衆運動の展開という視座から、その歴史的意義がさらに追究されなければならないであろう。 近江国葛川(現滋賀県大津市)の坊村の調査では、葛川の谷々のみならず、近隣の村々(久多荘・朽木庄)にまつられている信古淵神の宗教思想上の意味を検討した。なお坊村の明王院において中世以来の多数の参篭札を見学し、さらに、未整理の文書類が多数残存していることを確認した。 本年度は、当該研究の最終年度にあたるので、報告書(冊子体)を作成した。 なお、今後このような研究を深めるためには、中世民衆の武装の問題、対領主意識の変化、闘争参加のさいの「いでたち」(服装)、当該段階の権力の本質を追究することが必要である。さらに、アジア諸国やヨ-ロッパ諸国の封建社会における階級闘争と対比させつつ、日本中世の農民闘争のもつ階級闘争としての成果と限界とを明らかにする必要がある。そのことが中世の民衆運動の本質を解明するための第一歩である。
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