研究成果は、「西南戦争における西郷隆盛と士族」という題で、『人文学報』68号(1991年3月)に発表した。その内容の概略は、以下のごとくである。 1.出兵の動機と事情 (i)鹿児島私学校徒の決起出兵ー最初に出兵した兵士の動向 (ii)出兵の目的は何かー兵士の行動目的と心性 (iii)各地域からの出兵ー城下士と地方から出兵した者とのちがい 2.私学校ー士族の動員に、どのようにかかわっていたか 3.区戸長の動向ー戦争に、どのようにかかわっていたか 4.降伏・解隊の状況ー主として、強制的に動員された者の態度 5.西郷隆盛の位置 西郷隆盛は、西南戦争において、反乱軍の巨大なシンボルであった。西郷は前線に出ないし、直接軍の指揮もしない。兵士のほとんどは、明確な政治目的を持たなかった。ただ、西郷を信じて、彼に従ったのである。反乱軍の兵力は、約3万人である。その内13000人が、私学校士族で、自発的に出兵した主力戦闘部隊である。あとの17000人は、鹿児島の各地と宮崎の諸地域から出兵したものである。これらの兵士のほとんどは、なかば強制的に動員された。彼らの動員にあたったのが、鹿児島士族出身の区戸長たちである。西南戦争は、西郷隆盛という、巨大な人物と、城下士族が支配する地方行政組織、それに私学校徒の独特な心性という、他の地方には見られない、特殊な条件下で起った、士族の反乱であった。
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