本年度は、本研究の最終年度にあたるので、『弘仁格の復原的研究』民部下篇の出版準備の研究にあてた。民部下巻は格文が全体で25と少ないが、格文は長文であり、民部中巻の途中から土地制度関係の格が続く。ところが、民部下巻の最初は寺田から続き、民部中巻が寺封から始まっていることと相まって、平安初期においても国家にとって仏教がいかに重要であったことを示していることがわかった。また、寺田は弘仁格にしか規定されていない。これはいかなることを意味するのか、今後の研究にまたなければならない。次に、民部下巻には、民下15や民下18のように、原格を民下15と式上84とわけたり、民下18と式下34にわけたりしたと思われるような格が二つもあり、弘仁格の編纂方針を知るてがかりになる格があることがわかった。また、民下21のように、本格は弘仁格に一つの格として収めされていたにも拘らず、類聚三代格においては、二か所にわけて収められているために、復原にあたっては特に注意をはらう必要があり、機械的な復原では正しい復原はできないことがわかった。これらの研究と並行して過去二年間の研究の補充的研究も行った。まず「弘仁期地方官監察についての一試験」については、勅のでた背景に藤原種継暗殺後の南家継続主導下の政策であること、論旨を補強する史料をいくつか発見したこと。更に民部中巻に関連して、弘仁格式の編纂、施行は単にその社会が法典を必要としただけでなく、わが国が唐の格式をまね、わが国でもつくりたいという欲求があり、藤原冬嗣らは格式編纂を利用し、藤原氏の地位を高めていったことを「弘仁格式の編纂と藤原冬嗣」としてまとめ、格式の研究史や動向についても整理した。以上の研究成果は、いずれも『弘仁格の復原的研究』民部下篇にまとめ、目下研究成果公開促進費の交付を申請し、交付がうけられれば、平成3年2月までに出版することができる。
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