(1)中世所領の成立を側面から促進した交通形態について古代〜中世前期のそれを検討した。東北の交通形態については、開発と鎮守の観点や延喜式交通路の究明に意が注がれているが、東北における律令制交通の特質を改めて検討してみると、そこに律令国家の東北併合策という大前提に基づく軍事的・警察的要請が極めて色濃いことが判る。さらにいまひとつ見逃せないのは、東北土着の交通で(非律令制交通)、それは、沿海州(渤海)との交流ないし北海道や東北北方との相互交流に伴う海水運の発達があったことである。この海水運の発達は、渤海との交通が極めて頻繁であったこと、出羽国の成り立ちやその後の発展が海水運の利用に負うところ大なるものがあったことなどから窺える。とくに、中世所領(就中、荘園)の成立が律令国家によって回避された内陸部に多く出現をみることは、東北が独自に育ててきた例えば最上川水運の発達に負っている。さらに、いまの山形市にあった荘園、大曽禰荘から水豹皮が都に送進されていることは、東北の伝統に基づくといわねばならない。中世前期の交通については、長井荘を例にそこに地域文化圏が成立していることに注目した。この地域文化圏の成立は、最上川を大動脈とする交通の上に、修験の道というべき羽黒・朝日・飯豊・吾妻・白鳥といった主峰を中心に回峰修行する道が四通八達したことに負っている。 (2)中世所領の成立について、東北のそれをーまず離れて日本全体のそれを改めて検討した。とくに別名と別符を例に検討を加えた。その結果、別名は従来の名(みよう)からはずして独自の徴納ルートが容認されるとともに、名とは違って国衛に直結する国衛直領となったこと、さらに見逃せないのは、別名の徴税権は別名化しても国衛が依然として掌握していることである。この別名の特質は別符にも同様にみられ、別名と別符は同義異称であったといえるということを指摘した。
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