19世紀後半における東アジア諸民俗の自己意識(民族意識)と世界意識(国際意識)の特質を解明するための予備作業として、前年度の台湾・琉球問題に続いて、昭和63年度においては、主として清国、越南関係、清仏戦争をめぐる清国当局・知識人・ジャーナリズムの対応と動向に焦点をあて、関連文献・史料を購入・収集し、分析・検討した。 I清国・越南関係をめぐって。清国を中心とする冊封体制のもとで、清仏戦争以前までは越南も清国に属国の一つであったことは周知の通りである。本研究では、(1)清国当局及び洋務派知識人の越南認識の検討に加えて、(2)越南当局及び越南知識人の清国との関わり方にも注目した。(1)の面では、越南は冊封体制の内部に包摂されていたにもかかわらず、清仏戦争以前までは、清国側の越南に対する関心は比較的弱く、その越南認識も琉球認識以上に貧弱であったことが確認された。(2)の面では、越南は表向き清国を宗主国として臣礼の態度を示しているものの、かなり強い自律意識も看取される。 II清仏戦争をめぐって。越南問題をめぐる清仏戦争は清国知識人にとって、台湾・琉球問題よりはるかに重要な位置を占め、深刻に受けとめられた。清国では、一般に冊封体制の護持を前提とした対仏抵抗・ナショナリズムの論調が主流を占めるけれども、琉球問題において強硬な国権主義的対応を主張していたとみなされている人物(例えば何如璋など)が、越南問題では必ずしも同様の立場にたっていたわけではなく、むしろ消極的対応を示していることも確認された。他方、清仏戦争前後の清国ジャーナリズム(申報・循環日報・述報等)は主戦論の立場から詳細な記事・論説を記載し、ナショナリズムを激発させたこと、また民衆レベルの対仏抵抗、ボイコット運動が各地で頻発し、ナショナリズムが知識人の枠を越えて民衆をも捉えはじめたこと等を確認することができた。
|