研究概要 |
17〜19世紀における中国船の漂着資料を日本資料のみならず, 中国や朝鮮の資料にまで拡大し収集した結果, 本年度は以下の3点の研究成果をまとめることが出来た. 清代の海上貿易の一側面としての沿海貿易の影響が広範囲に及んでいることが知られる. 中国東北地域の一海港である遼寧省錦州の商業圏としての後背地が, 清代の場合, 内蒙古の地域にまで及んでいたことが漂着船の資料解明等によって明らかにすることが出来た. (『関西大学 文学論集』第37巻1号掲載の「清代盛京海港錦州とその後背地」参照) さらに, 清代沿海貿易の一中心地であった浙江省寧波の帆船経営の実態については漂着資料等の解明により, 北は中国東北地方, 南は福建省沿海地区の福州地域までの沿海海域を商業圏として, 寧波の帆船が活動していたことが明らかになった. (『関西大学東西学術研究所紀要』第21輯掲載の「清代寧波の民船業について」参照) 時代を少し遡って16世紀の資料を収集した結果, 朝鮮資料によって中国明代後期の沿海航運が, 明政府の海上航行厳禁策にもかかわらず, 展開されていた事実が明らかにできた. (『社会経済史学』掲載予定の「明代後期の沿海航運」) この他, 昭和63年3月の鹿児島市への出張調査により, 鹿児島県立図書館において収集した地方史資料により, 中国の海外・沿海貿易船の薩摩漂着の事例を多数明らかに出来, 次年度以降の研究としてまとめたいと考えている.
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