研究概要 |
本年度の研究実施計画に従って, 以下に記すところの新たな知見・成果を得られた. 1.共産党の指導集団を特定の基準で区分し, 彼らの社会学的分析を通じて, 共産党の政策決定の解明に役立てる試みは, 古くからあり, 1917年ロシア革命の直後から, すでに行われていた. しかしながら, 指導集団を区分する際に用いられた基準は, 人によって様々で, その基準の選択も, 恣意的であって, 全体としては学問的であるとは評価できない. 2.指導集団と指定し, 区分した党員集団の範囲が, 党政治局員か, せいぜい枠を広げても党中央委員会メンバーであって, 極めて狭く, 社会学的分析に耐えない. このような狭い集団を採用することの背後には, (1)党書記長をヒエラルヒーの頂点とする官僚制化した党, (2)レーニンやスターリンといった特定の個人の独裁の道具としての党, といった党の像が前提とされている. そのほかに, 指導機関員と指導集団(層としての)との混同にも起因する. 3.以上の反省に立ち, 指導集団としては, 党の世論を規定する党大会や党協議会に出席し, それらを構成した代議員, 特に, 決議権を有する者にまで広げて理解すべきである. かかる判断は, 彼らがロシア各地の指導者でもあることから, 合理的である. 4.彼らを出身階級ではなく, 入党時を基準にして区分し, その相互比を年毎に追うと, 重大な政治構造上の変化と, 彼らの構成の重大な変化とが重なる. 例えば, 1924年以前の入党者とそれ以降の入党者の相互比が, 1930年代後半の「テロル」を挟んで一変していることである. これも入党時を基準とすることの妥当性を示すものである. 5.今後, 1924年以前の入党代議員とそれ以降に入党した代議員の双方の出身階層の分析, あるいは彼らの就く公職務の分析などとも突き合わせつつ, ミクロの政治史の分析や, あるいはマクロの政治構造の分析を推進して行くべきであろう.
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