研究概要 |
ロンドン出身者を中核とするニュー・モデル軍の政治化とレベラーズの急進主義運動との関わりを考察し, 民衆の視点からイギリス革命の政治意識を捕捉することが本研究の課題である. この課題にアプローチする際, 前提作業として, ニュー・モデル軍とレベラーズに政治行動の担い手と供給したロンドンが, オリジナルな革命(40-42年の諸事件)にどう関わったかを明らかにすることが不可欠である. それゆえ本年度は, ロンドン群衆に焦点をあわせて, 内線勃発に至る政治過程を考察し, 以下の成果をあげた. アイルランド反乱後, ロンドンでは中・下層民衆による反カトリックのデモがさかんに展開した. 分離派に指導された職人・徒弟その他の「若者たち」と「下層の人々」の請願は, 主教をカトリック教徒と同一視して, 主教制度の根絶を要求した. 議事堂の外では, 上院に向かう主教たちを群衆が襲った. デモ参加者を率いていた先頭のリーダーたちの中で有名なのはリチャード=ワイズマンとジョン・リルバーンであった. 国王が五名の議会リーダーを逮捕せんと企てた事件により, ロンドンはゼネラル・ストライキに等しい事態を呈した. 国王の行為に抗議して商人と営業者たちは店を締め, 民衆は武器を執って街に立った. そうしたロンドンの政治的混乱は不況を一層深刻なものにした. 深刻な不況は下層の人々にヨリ厳しかった. 貧者たちが請願書を携えて下院に行進した. かれらは営業衰退の原因を主教・カトリック教徒のせいであると考えた. 民衆の目には, カトリック教徒と国王派は一体のものとして映った. 一方, 議会はそうした民衆の騒擾を黙認するほかなかった. 国王やロンドン市長の指揮する軍隊によって議会が制圧されるかもしれない情況の下では, 民衆は唯一の対抗手段となりえたからである. こうしてロンドン民衆が政治に介入したことにより, 内線の惧れが現実へと押し進められ, 革命の奔流が解き放たれたのである.
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