不明な点の甚だ多いローマ教皇ウルバヌス2世の十字軍構想を解明することを目的とした。そのために、教会法学者であるシャルトル司教イヴによって提起されたフランス国王フィリップ1世の再婚問題と、これをめぐる急進的教会改革者のリヨン大司教ユーグとウルバヌスの対応を以下のように跡づけた。 1.叙任権闘争の渦中にあるウルバヌスにとっては、フランス王権との友好提携関係を維持する必要があった。しかし、1092年のフィリップの再婚は、シャルトル司教イヴの非難するところとなり、さらにそれは、リヨン大司教を始めとする改革急進派の格好の攻撃材料となった。フィリップは、オータン教会会議において、ユーグにより破門された。 2.しかし、ウルバヌスはビアチェンツァ教会会義においてもこの決定を追認せず、問題の解決を先送りした。なぜか。ここに、ウルバヌスの十字軍構想を理解する上での1つの鍵がある。ピアチェンツァでは、ビザンツ皇帝からの支援要請が教皇になされたのである。 3.ピアチェンツァ会議から半年後のクレルモン教会会議までの間、ウルバヌスは北イタリアとガリアの各地を巡歴した。そしてこの過程で彼は東方遠征軍を組織することについて、ツールーズ伯レーモンの確約を取りつけたのである。ここに至ってウルバヌスは、教会法違反に問われているフィリップ1世との提携が不可欠ではなくなった。そのため、クレルモン会議に出席するため遠路下向したフィリップにウルバヌスは直接会わず、ユーグを会見させたが、両者の意見が一致を見るはずはなかった。ウルバヌスは、クレルモン会議において、フィリップに破門の宣告を下した。
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