ローマ教皇ウルバヌス2世の十字軍構想を解明する1つの手がかりとしてフランス国王フィリップ1世の再始をめぐるフランス教会と教皇の対応を検討するとともに、十字軍の計画から初動段階における展開を仔細に跡づけた。 1.教会法違反の嫌疑を受けたフィリップの再婚問題に対して、ウルバヌスが強硬措置を取れなかったのは、1093年末までは、教皇自身、叙任権闘神の渦中にあり、事実上の亡命政権に過ぎなかったことによる。 2.教皇権威の確立を見たピアチェンツァ教会会議(1095年3月)においても、なおこの問題に対して決断しかねたのは、ビザンツからの支援要請を受けて、教皇の中に東方遠征構想が現実性を帯びたためである。即ち、ウルバヌスは、遠征軍の中心にフランス国王を想定していた。 3.遠征計画を具体化していく過程(1095年8月〜11月)でウルバヌスは、南仏最大の領主であるツールーズ伯レーモンが遠征軍指揮官となる確約を得たことにより、クレルモン教会会議ではフィリップの破門を宣告することができた。 4.十字軍が実際に勧説されると、それに真先に反応したのは、教皇の思惑とは違って、むしろ小領主や下層民であって、彼らは糧食の調達も十分でないまま行動を開始した。その際、行軍途次のユダヤ人共同体が襲撃された。 5.十字軍兵士によるユダヤ人迫害の形態は、(1)ユダヤ教の象徴であるシナゴーグの襲撃破壊、(2)ユダヤ教徒にキリスト教への改宗を迫り、拒絶した者を殺害するという改宗か死の二者択一、(3)迫害の論理として、オリエントのムスリムが神の敵であるならば、同じく神の敵とされる眼前のユダヤ人がなぜ放置されているのかという疑問。
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