日本各地に残る中性、近世の金、銀、銅鉱山の遺跡のうち、鉱石の粉砕に用いられた石臼類が遺存するという情報を得ることができた約20の鉱山に対して実地調査を行ない、石臼類の観察、写真撮影、実測図の作成を行なった。対象となった標本数は200点をこえた。これとあわせて文献史料的データー、考古学的データーの収集を行ない、それら鉱山の嫁業年代、石臼の所属年代を推定した。 石臼類はその形態的特徴や使用によってできた磨滅の詳細な観察により、大きく8類に分類され、機能的発展に対応するものとしてとらえられた。この結果、戦国時代に著しい日本の貴金属鉱山業の発展と進歩が自律的なものであることが示された。これは従来の海外からの技術移入を重視する理解の仕方とは大きく異なるものである。 従来、日本の鉱山史研究は文献史料のみから行なわれてきたが、鉱業の発展と言う点でもんとも重要な時期である中世の鉱山に関する史料はきわめて乏しい。一方、当時の鉱山遺跡は全国の山間部などに良好な状態で保存されているものが少なくない。鉱山史料の行きづまりを打開するために、これら鉱山遺跡の考古学的調査から得られるデーターは大きな力となるであろう。そしてこの鉱山の考古学的にとって石臼はもっとも重要な資料となるであろうことが、本研究によって確かなものとなった。
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