1987年度から1989年度まで東アジアの青銅器製作技術の調査研究をおこなってきた。その成果をもとにして、東アジアの青銅器製作技術についての総合化と大系化をはかり、学術成果の公表を行った。 中国の青銅器については、その出現当初の状況を明らかにした。従来の説に対して、より古い段階に純銅の時期があり、そのご青銅の合金に進む事実をあきらかにした。その成果は研究成果報告書に記載したとうりである。 朝鮮の青銅器についても精力的に資料の収集を行った。特に、青銅器さ伴った各種の遺物についての検討に意を注いだ。これによって時間幅と地域性を、より厳密に識別することが可能となった。これらにいついても研究成果報告書に記した。 日本の青銅器は、発掘調査の目ざましい進展により、続々と新出資料が増加しているので、その追加補充と休究の深化をはかった。今まで日本の青銅器は、東の銅鐸と西の銅剣・銅譲矛と対比されてきた。しかし最初から東西に分かれて対立的であったとは判定できない資料が近年数多く発掘されている。銅鐸は、弥生時代の前期構ら西日本全体に銅剣・銅矛と共に広く分布していたもので、弥生の最終段階になってはじめて、九州型の銅矛分布圏と畿内を中心とする銅鐸分布圏とに、明確に分かれたものであることを明らかになし得た。日本の弥生時代の青銅器は、東アジアの青銅器文化と鉄器文化との影響下に、生成発展をとげ、やがて古墳時代の本格的な鉄器文化に進んで行ったことを、東アジアの青銅器文化の中で把握することができた。これは論文で発表した。 このように、東アジアの青銅器製作技術の特質を明らかにすることによって、東アジアの青銅器文化が果たした役割を、東アジア史ばかりでなく世界歴史の中に位置づけることが可能となりつつある。さらに、弥生時代の日本の青銅器文化の特異性についても、東アジア史の中でとらえてこそ、はじめてその動向が明白となるであろう。
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