清朝三百年間の満洲族の治世のうちに生み出された多数の満漢合璧体の書物を、「漢語で書かれた満洲語図書」という視点でとらえ直し、漢語史の研究に活用することを試みた。2年間にわたり、奈良の天理図書館、大阪の大阪外国語大学附属図書館石浜文庫、京都の人文科学研究所内藤文庫、長崎の長崎県立図書館、東京の東洋文庫・内閣文庫・静嘉堂文庫・学習院図書館・東洋文化研究所大木文庫・東京大学文学部などに所蔵される清代前期の満漢資料を閲読調査した。18世紀前半の口頭言語を反映する《満漢字清文啓蒙》(雍正8年、1730序)を中心に前後150年間の満漢資料三十余種の比較検討の結果、音韻史・語彙語法史の両面で、今まで知られていなかった二、三の事実を明らかにすることができた。1)《清文啓蒙》では、尖音団音=精組見組の斉撮呼音節=の合流[尖/tsi-1と団1gi-1→/tsi-1]がみられるのに対し、17世紀後半の廖綸〓《十二字頭》、18世紀後半の《増訂清文鑑》では、この区別が保存されていること[〈清朝前期の満漢合璧十二字頭からみた漢語の尖音団音〉]。2)《兼満漢語満洲套話清文啓蒙》(乾隆26年、1761)では、すでに現代北京語と同様の音系が成立しているが、給ji/gi、還huwan、了Liyoo/Liyaoなど音節音形が異なる語彙が一部にみられること[〈満洲文字転写本《兼漢満洲套話》による18世紀北方漢語の音形復元〉]。3)《兼漢満洲套話》(《清文啓蒙》巻2)の問答50条では、給、〓〓着、A了B了など清代前期の指標となる語彙語法を用いる反面、如今/現在を併用し、2音節動詞の重ね型の古い形式AByiAB/majige+Vを用いるなどやや古い性格も兼ね備えていること[《清文啓蒙》十八世紀北方漢語の口語語彙]。しかし、以上3件の報告は、いずれも個別事実の指摘にとどまり、満洲語との対照にもとづく北方漢語の史的研究は、まだようやく緒についたばかりの段階にあると言わねばならない。
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