ラスキン個人の美学の形成をたどることがまずこの研究の基本の一つであったが、オックスフォード大学入学直前に書かれた、いってみれば処女論文というべき雑誌投稿の小論(当時未発表のまま)にラスキン美学の原点のみならずその總体としての姿を象徴的に読み取る作業をなし得た。また、ラスキン美学の具体的なあらわれとして、ラスキンが推賞した画家たちとラスキンのつながりを作品に即して検証し、分析し、同時にラスキン自身の作品へのあらわれを、イタリア滞在時のラスキンの仕事を中心に検証する作業もある程度できた。要は、美術におけるラスキン美学の根本はその精神主義からくる主題重視の思想であり、これが彼をしてロセッティから離れせしめたが、一方、バーン=ジョーンズへの支援が続いたことに、審美主義とラスキンとの微妙なかかわりが窺える、ということである。以上の諸点については、一部すでに口頭発表や小文で公けにしているが、さらに昭和63年度の研究成果を追加した形で論文集や学会誌に発表することになっている。 本研究の第二の段階、そして最終の目標である、ラスキン美学と社会(経済・政治)構造とのかかわりについては、蒐集した多岐にわたる文献の整理と読解、分析がなお継続中であるため、研究成果を完成した形で示すことは少し先になるが、途中報告の形で、学会誌や論文集の中に織りこむ予定になっている。要は、Fors Clavigeraなどに見られるように、公害論の原点というべき仕事をラスキンが果したこと、そして、そのことが、彼の美学の精神主義・主題主義と結んでいる、ということである。
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