社会主義における「人民代表制」は、その憲法上の規定にもかかわらず、形骸化してきたし、またいまもそうであることに大方の異論はないであろう。人民の権力たるべく社会主義の国家権力が、党や行政機関のアパラチキによって「纂奪」され、その両者の癒着によって「党=国家体制」が成立していたとよい。こうしたソ連をはじめとする社会主義の政治システムまたは政治支配の構造は、ペレストロイカの言葉ととも、当の諸国においても、反省的に批判的検討が始まっている。ソ連とは異なったプロセスを歩んでいるハンガリーやポーランドの政治的複数主義をめぐる動向、それに独自の自主管理社会主義モデルを追求してきたユーゴスラビアの社会的動揺は、ソビエト議会主義を提唱するにいたったソビエト憲法学にも大きなインパクトを与えずにはおかない。 現状分析を以上のようにまとめるについては、とくにソ連についていいうるのだが、革命前の「立憲主義」の伝統の有無又は濃淡の分析が必要であった。新旧の支配的イデオローグの一部にそれは「定着」していたとしても、社会全体として人民が「我がもの」としてはいなかったし、人民の闘争もその「舞台」のうえで展開されてこなかった。その歴史的な負の遺産は大きい。 今日の事態は、いずれの既存の社会主義モデルだが、その「生命力」を喪失するかの「危機」にあることを示している。そのなかでの「ブルジョア」的とされてきた諸概念・諸制度の再評価・再構築の一つの模索が進んでいるので、引きつづき事態の正確なフォロが必要であろう。 しかし、このテーマに限っていえば2年間の補助金交付のおかげで基本的文献を入手でき、全体としてのまとめの作業に入りうる段階にまで至ることができたと考えている。
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