前年度に引き続き研究代表者と研究分担者はほぼ1ヵ月に1回程度の割合で、打ち合わせを行い、それぞれの研究状況を報告しあった。ブレジネフ晩期に刊行されたソ連(関係のある限りで東欧諸国を含む)の外交資料の分析に多くの努力を払ったが、新たに生じた課題としてペレストロイカ文献の分析がある。ペレストロイカ文献にはかつてソ連の研究者によって表明されたことのない、まったく新しい見解が現れており、ソ連外交史の研究にとって貴重な資料である。ただ、その分量が甚だ多く、またどのような場所に発表されるのか予想がつかないために作業は困難を極めた。研究代表者は1988年9月に2週間ポーランドを訪問し、ソ連=ポーランド歴史家合同委員会のポーランド側医院を務める人物にインタビューしたり、言論の自由化によってどっと現れた新聞雑誌情報を収集して一定の成果を挙げ、その成果の一部を11月にハワイで開かれた国際研究集会で発表した。他方、研究分担者もなかんずく1988年3〜4月の現地調査に基づいて『中央公論』誌上に成果の一部を発表した。ペレストロイカ文献は学問的価値が高いが、なお新聞雑誌論文にとどまっており、資料や本格的なモノグラフの刊行などには至っていない。外交史の見直しはいわゆる歴史の見直しの一環であるが、他の分野と比べると国益が絡むため遅れがちである。目下のところ1938〜39年、すなわち第2次大戦勃発期に関心が集中している。戦後勃発に対するソ連の間接的責任を示唆する論文にも現れている。同様の傾向は少数ながら第2次大戦期、戦後冷戦期のソ連外交を論じた論文にも現れている。外交史の見直しについては国内少数民族や東欧同盟国の側からの圧力が大きな役割を果たしている。ソ連における外交史研究は今後多様性を強め、大きく発展するものと思われる。研究代表者、研究分担者は1989年度中により本格的な形で成果を発表する予定である。
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