近世の日朝貿易は、幕府の「鎖国」政策にもかかわらず、江戸時代全期間を通じておこなわれていた。貿易の特徴は、日本人、それも対馬島の者が、朝鮮半島の南端に設置された和館に赴き、朝鮮側の役人らと交易をおこなうもので、海外渡航が禁じられていた当時としては、異例な形態をとっていたといえる。そこで貿易に携わった対馬藩宗家の記録をはじめ、藩内の商人や役人、通訳官らが残したオリジナルな史料を調査・収集し、それらを詳細に分析することによって、貿易仕法、取引品目、数量、価格などの変化を、近世全期にわたって比較・検討した。 まず近世前期に確認される中国産品の大量輸入は、 1「鎖国」成立期に幕府が指向した貿易政策に叶うものであったこと、 2対価として日本の通貨である丁銀の大量輸出がおこなわれたこと、 3結果的に朝鮮商人との相対取引を原則とする私貿易の飛躍的な隆盛を促し、対馬藩に莫大な利潤をもたらしていたこと、などが指摘される。これに比して後期の日朝貿易は、丁銀の調達難から私貿易減退の傾向が顕著になり、やがて官営貿易と私貿易は、同じ規模で運営されるようになった。前期に比して減退した和館貿易ではあったが、貿易によって藩経済を維持しなければならない対馬藩は、依然として積極的な貿易経営を展開させる。このことは、幕末期の貿易帳簿によって確認される「外向仕入口」が証明している。すなわち日本からの主要輸出品である銅を、和館出入りの朝鮮貿易商人(都中)に前渡しし、特定の輸入品調達を行なうものである。委託契約を前提とするこうした取引は、当時の日朝貿易の大半を占めており、和館という限定された市場と朝鮮国内の市場を繋ぐ重要な商業形態であったことが判明する。さらに和館館守の記録によって、1711(正徳元)年4月期の業務従事者103名についての姓名、職と業務内容などをリスト・アップした。
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