この研究は、屏風絵・浮世絵などの絵画史料、町触などの文献史料を併せ用い、江戸の町家を具体的に復原し、それをもとに、江戸幕府の目指した総城下町江戸の町人地の姿と、その実態を解明することを目的としている。今年度の進行状況・実績は、以下のとおりである。 1.絵画史料にみる町家形態の抽出 絵画史料の年代比定に基づき、歴博本江戸図屏風・出光本江戸名所図屏風と林原美術館本洛中洛外図屏風などに描かれた町家および都市施設の形態的特徴を抽出し、分類した。 2.町触の抽出と整理 江戸と京都の町触から建築および都市施設に関わる都市政策上の記事を抽出し、内容の整理を行った。 3.江戸の町家の形成過程の分析 上記史料をもとに、明暦大火前後の江戸の町家の形成過程について庇を中心に、京都の町家の様態を踏まえて検討した。江戸の町家の独特の形式は近世を通じて徐々に形成されたものと考えられ、その要因は景観整備、都市の不燃化などであったことを明かにした。また、その一環として、河岸蔵の形成過程を検証した。さらに、江戸と京都の都市景観が異なる形成過程をもつことを、木戸・番屋の変遷から明らかにした。その結果の一部は、建築学会に発表した。すなわち、江戸の町人地における木戸・番屋は、幕府の都市政策の末端を担うものとして設けられており、室町末期に町衆の自営自治のために設けられた京都の木戸とは形成過程が異なっている。しかし、京都の木戸も徳川支配下になると、行政組織の末端としての役割を担い、両都市の町における、日常の役割に大きな差はみられなくなるなどを明らかにした。
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