研究概要 |
育林生産は生産期間が数十年と長く, かつ, 労働投下を要する期間がその初期の5〜6年部分に偏っていることを, 技術的特質としている. 育林業が形成されてくる歴史具体的過程でこの特質がどのように現出してきたかを, 農民による「仕立山」方式なるものに注目して実証的に押さえることが, 本研究の目的である. 当該初年度の研究成果は次の2点に中間総括される. 1.日本において育林業が形成してくるのは徳川期であり, 徳川林政史研究所, 林業文献センター, 林野庁等に出かけ, 徳川〜明治期における林野制度に関する文献・資料収集に努めた. 自家用の採草・燃料採取に供せられていた入会山に, やがて農民による人工造林が開始される. 筆者は, 農民によって自立的に育林の労働・生産過程が担われ, しかる後に立木が第三者に販売される(多くは商人等が「資産」運用手段として購入)場合をして, 「仕立山」方式と概念化したく考えているのであるが, 徳川期の資料にあたることにより, 農民による植え立て山それ自体を仕立山と呼ぶことが往々にしてあることが判明した. 概念のネーミングの再考が必要となっている. 2.現地調査を紀伊半島東南部一帯で実施した. 海山町での「年山」, 熊野川町での「二分口山」等は, 旧村有林を期限を設定して地元農民が借り受けて造林し, 収穫時に一定歩合分を旧村に収める形の, この地域の育林業の形成過程での支配的方式であるが, 労働・生産過程を離れた段階でかなりの立木(地上権)が新宮市等の商人資本の手に渡っている. 造成当初からこの段階での販売を意図した「仕立山」方式は, 歴史的に育林業が最も活況を呈した昭和30年代に顕著となるが, 以前からかなりの程度存在したと考えられる. しかし, 農民による育林業の挫折形態なのか, 「仕立山」形態であるのか, 実際上区別しにくい場合が多く, この点今少し突っ込んだ資料収集をする必要に迫られている.
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