研究概要 |
今年度の調査研究は, 主として, 沖縄県の野菜産地と, 愛媛県のみかん産地について実施した. 沖縄県については, その農家調査を那覇市の近郊野菜産地である島尻郡南風原町山川集落, および戦前からの本土出荷の経験のある先駆的な野菜産地(那覇市北方80km)である国頭郡今帰仁村崎山集落について実施した. ここでは, 主として今帰仁村につい論点を整理しておこう. 旧来の停滞構造からの脱却は, いわゆる「ソテツ地獄」と称される大正末から昭和初の時期に, 旧来の黒糖生産体系の崩壊と近代的分密糖生産への移行, そこで周辺労働力の出稼ぎ・移民・兼業化の拡大, さらにそれらの反面としての本土向け出荷の野菜生産などの商品生産の開始とし展開された. とくに, 野菜生産の技術革新をもたらしたのは, 大正末アメリカに密航した5名の若者達であった. そのエネルギーは戦後の米軍キャンプとの独占的契約による清浄野菜の出荷組合(39戸)の形成として引き継がれ, さらに県内需要の頭打ちがあらわれた昭和50年代には, 他地域に先駆けてのハウス西瓜栽培による本土出荷を, 主としてUターン青年20数名が当る事となった. 地域の農業生産はその度に組織的に再構成されていったのである. 愛媛県についていえば, 1970年代移行の「みかん過剰・危機」のもとで, 限界地の脱落, 荒廃化が進行したが, それをカヴァーする地域農業の組織化は, 地代負担力の大きい優等地では, 農地流動化の受け手は多いが, 出し手が少ない売り手(貸し手)市場となり, 逆に地代負担力の少ない劣等地では, 園地を管理してくれるならタダでもよい, とする「お願い」型の流動化が進行することとなる. これらの諸類型は, 当然ながら周辺の労働市場のありかたによって農地需給の強弱が規定され, そこでさらに細区分されることになる.
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