1 研究の背景と目的:1880年の記載以来、膨大な研究が行なわれたが、MNDの原因はいまだに不明である。MNDの病変の中核は1次・2次運動ニュ-ロンが不明の原因でひとつづつ死滅することで、動物にはそれに相当する疾患がなく、またこの病態は実験的に再現できないためヒトの臨床材料による以外に研究方法がない。疫学はMNDの研究のなかで大きな役割を果たしたが、もっとも重要な指摘は、我国とグアム島で観察された 頻度の激減であり、10ー15年間の変動であるから、遺伝的要因、純自然環境的要因よりも社会経済的要因の影響が考えられた。「危険要因」とは、その保有者が有病に高い確率で発病するような病前要因であり、1)病因への手懸かり、2)ハイリスク個体(または集団)の検出、3)予防に、有効である。しかしMNDの危険要因はケ-スコントロ-ル法によって発病する個人の特性が評価されたにとどまり、グアム島と紀伊半島の多発地域を除いては頻度に相異のある集団の特性が相互に比較されたことはない。本研究はこの点を開拓するために企画・申請された。我国にはMNDの死亡率の年次・地域変動が明確に存在するので、それを利用して、それらの変動と相関する要因の検出に努力することにした。研究の結果を次の4分野に分けて述べる。 A.MNDの訂正死亡率の年次・地域変動 MNDに相当する国際死因符号による全国の死亡票を1950〜83年分集め、1965年全国人口で訂正し3年移動平均を求め、3次曲線を適合させた。 それによるとMNDは1960年以降減少し、1977年から平坦である。死亡票を3期に分けて性別・県別に分析すると、男女とも最近になるほど率が減じ、その程度は多発県ほどつよく、その結果、MNDの頻度地域差が減じたことが示された。 B.MNDの標準化死亡比と市町村レベルの要因との相関 「標準化死亡比」SMRとは死亡率も異なるが、年齢・性構成も異なる分集団について、その年齢・性構成がもし全体集団と同じだとすると、期待される死亡数Eがどうなるかを求め、実際に観察された死亡数0と比べる方法である。E/O(%)が100なら、その分集団の死亡率は全体集団と一致すると期待される1969〜83年の全国死亡票を集め、また市町村レベルの公的統計約600項目から50項目を選び、その50項目の各々の分類群ごとに市町村を分け、その総人口と総MND死亡数を求め、分類群ごとのSMRを計算した。その結果、有意差があったのは、1)山村居住、2)1959年の高いエンゲル係数(総支出中の食費%)であった。エンゲル係数は1964年、1969年の値でも分析したが相関しなかった。以上からMNDは昭和30年代の貧しい山村生活と相関することが示された。紀伊半島の多発地域はこの意味で典型的な地域である。 C.MNDの死亡構造と県レベルの要因との相関 男女とも1)死亡構造はゴンペルツ法則(死亡率の対数が年齢に対して直線)に従っていた。2)因子分析法によると、予期に反して都道府県レベルの社会経済的要因よりも、MNDはむしろ日本人の総死亡率とよく似た死亡構造を示した。 D.遺伝学的分析 MNDに罹る人の生まれ月と季節との相関は不明確であった。またMNDのなかに1%ほど単優性遺伝に従う亜型があった。
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