研究課題
1 現在の看護制度は1945から1951年にかけての連合軍占領という極めて異質な状況下で構築された。占領軍は占領目的を「民主化と非軍事化」とし、実に6年という短期の間に日本を民主国家に変革せしめた。看護改革も国民の医療の向上のために全改革の一環とし実施され著しい発達をとげた。以来40年、日本の看護の発展はみられず看護の高等教育への道もきびしい。この点に注目し、占領時の日本の状況、GHG、SCAPの組織、看護の方針はどのようにたてられどのように末端地区に拡散していったか、看護改革の成功の原因は何であったかを追及し、今後の看護改革の指針とすることを目的とした。2 調査の結果、日本にはGHGによって書かれた史料は少なく、厚生省医務局、看護課の出した法令、規則も保存されていない状態であった。当時看護改革に参加した日本の看護婦の記憶もさだかでないケースが多かった。従って本研究はアメリカの国立図書館で得た資料、サムス元准将、ハーター、オルソン等元GHG看護婦の書簡、面接から情報を収集した。3 これによって明らかになったことは、GHGのオルト グレイスはアメリカで実施していた専門職化への活動を指針としていたこと、日本占領初期に徹底した全国的な視察を行い問題点をよく把握し、これを日本人関連者で構成された看護教育審議会で討議しアメリカの看護制度をよく勉強し将来の展望に適した制度をつくることを目標としていたことであった。政策は厚生省から各県の看護係に伝達、実施した。政策が実際に遂行されたかは占領軍の軍政部チームメンバーが監督にあたった。このように改革は中央から地域へ池の中へ投げられた小石がまきおこすさざなみの様に全国に浸透していった。この時点で将来の看護改革の指針は日本政治の複雑さ厳密さ故に結論を出すことは困難であった。