Civil Engineeringの全体的な形成史を追跡した。その結果、イギリスでSmeatonが、Civil Engineeringの提唱をしたことで、イギリスの事情が大きな役割を果たしたように思われるが、しかし、彼らはオランダから直接的に学問的な影響をうけたことが判明した。オランダは、またドイツやフランスからの流体力学や水力学等の発展の成果をうけついでいるので、Civil Engineeringの全体史はフランス、ドイツ、オランダおよびスイス等のヨーロッパ全体での相互影響でみなければならない。従来の研究では、あまりにも国別や、個人個人の科学的技術的業績のみを追求していたが、これでは技術学の実際の発達過程を解明しえないことが、この場合でも典型的にみられた。 自然科学的な、いわば学の内的な部分での客観的真理性の蓄積と継承が、個々の経済的社会構成体の具体的・個別的特殊性を通じて現象するという分析視点を、本研究を通じて確立できた。中世紀末から資本主義成立過程において、社会的構造の変化が生じたが、技術的な職能集団の変化も当然ながらあった。その際注目すべきは、古い体制下の中世大学を中心とする社会的集団を基礎としてではなく、旧社会にあっては下層的な職人層を基盤にして近代の技術学や科学が成立してきたことである。そのもっとも社会的変化を体現したのが、Civil Engineeringであった。従って、Civil Engineeringは、その母胎としても旧社会内での水車大工、船大工等の航海関係の職人層を中心とするという特殊性とともに、(逆に言えば時計工等が母胎にならなかった)内容的に多方面の技術分野を包含したため、内的な学の発展とともに学の社会的基盤たる学会は分離せざるをえなかったのである。これがCivil Engineeringの歴史的意義であった。本年度は、昨年度につづいてSmeatonの業績の内容と、Societyの資料を分析しえた結果、以上の結論をえた。
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