本研究2年目の本年度は、所属研究機関において1年間の国内研究を命じられたので、研究調査に専念することができた。まず、5〜8月にかけて国土地理院において、空中写真を全国的に検索して古代道の検出に努め、また11月には大阪市立大学所蔵の1940年頃撮影の大阪市周辺の空中写真についても同様の作業を実施した。以上の作業の結果、特に古代直線道の痕跡の明瞭な地域の空中写真を購入し、交付を受けた研究費の全額をこれに当てた。 以上の地域について、8月に福井・富山県下の北陸道、栃木・福島・宮城県下の東山道、10月に茨城県下の東海道、長野県下の東山道、11月に大阪・京都府下の南海道・山陽道、2・3月にかけて東京以西の東海道と南海道全線をそれぞれ踏査し、また兵庫県竜野市小犬丸遺跡(布勢駅跡)、長野県小県郡青木村・栃木県南那須町・群馬県新田町のそれぞれ推定東山道、群馬県藤岡市の名称不明の古代道遺跡などの発掘現場を見学した。 これらに加えて、従来の各地での発掘結果を整理すれば、都城に連なる畿内の諸道は格別として、一般に地方道は奈良時代に12m程度、平安時代に入っては約6mの道幅を示し、『延喜式』所蔵駅路の他にも多くの古代道が存在したことがうかがわれる。これらの古代道は自然発生的な通路ではなく、土木工事を施して造成された道路である。 古代道の路線想定を行う過程で、駅家間を繋ぐ駅路と群家間を連絡する伝馬の路とは本来区別さるべきことが判明したので、後者を伝路と呼ぶこととした。駅路は計画的直線路として造成されたのに対し、伝路は自然発生的通路の性格を示すことが多いと思われる。
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