1.本研究は、日本古代律令国家の駅伝路などの官道は計画的に測設されて、直線的路線をとる道幅も10m以上の大道で、古代的地域計画の基準線としても機能したとする観点から、現地表に残るその痕跡を歴史地理学的方法によって追跡し、その路線を復原して古代律令国家の地域構造解明の基本資料としようとするものである。 2.方法としては、先ず国土地理院に保管する空中写真を関係全地域について閲覧し、その痕跡と認められるものについて検討した。戦前における旧陸軍、終戦直後の米軍撮影の写真が特に有効であるが、1960年代の国土地理院による撮影写真も利用できる。国土基本図は地割の詳細が示されていないので、条里余剰帯の測定などに幾分使用できる程度である。旧地籍図は地名と地割の判定に有効であるが、精度に劣り閲覧・利用に難がある。最終的には現地調査を実施することによって、道路敷を示す帯状地割や切通し遺構を検出することが出来る。 3.結果として、七道全てにおいて部分的ではあるが直線的古代計画道の痕跡を認めることができた。これらの一部は発掘調査によって、駅路は8世紀には道幅12m程度で9世紀には6mに狭まり、路線が変更された所も多いことが判明した。従って、10世紀に制定された『延喜式』の駅路は律令国家の典型的道路網を示すものではない。8世紀代の道路網とその変遷を知ることが今後の課題となるが、以上の歴史地理学的方法は考古学的資料と発掘成果を援用することによって十分の効果を挙げることができる。かくして判明した日本古代道路の実態は、古代駅伝制という制度史的側面を解明する手助けともなり、その路線と道路形態はロ-マ道など世界的古代道に共通するので、日本古代国家の研究も世界史的視野を必要とする。また、中国の影響を受けて発達した日本古代道の研究成果は、研究調査が遅れている中国を初めとするアジア諸国の古代道研究に資するところが大きい。
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