研究概要 |
集団的な某洛移転の事由・形態には, 被災・防災を契機とするもの, 過疎山村や炭鉱閉山に典型的にみられる生産・生活基盤の喪失によるもの, 各種大型開発事業による移転等があげられる. 今年度は局地的な大規模災害を中心とする事例的現地調査を実施した. 長野県中川村においては, 昭和36年の伊那谷災害によって80数戸が旧来の小字単位に周辺市町村に分散的な集団移転をおこなった. 昭和47年の天草災害は姫戸町等における10数地区において海面埋立による造成地(町有地)への集団移転をひき起した. また, 山形県大蔵村においては昭和49年の地上りによって, 赤堀地区被災世帯は隣接地へ移転した. この宅地は農地を村が買収し, 宅地造成後に貸与するものであった. これら3町村は移転先の取得方法に差異が認められるが, 幾つか共通した事象もみられる, 被災跡地は圃場整備事業等を導入し, 整然と区画された耕地が復元しているが, 表土形成が浅く, 生産力水準を回復するにいたっていない. さらに, 減田政策の影響で農業水利の悪化をもたらし, 荒廃化が進行している. 被災農家のうちとくに零細層は脱農化が著しく, 旧耕地の全面委託となっている. 僅かに, 中川村から宮田村に移転した被災農家は村有地を開墾し, 水田経営を継続しているのみである. 被災世帯の就業状況としては, 誘致工場への通勤就業が多いことを特徴としている. しかも, 農業委託をともなう多就業構造が深化している. 旧字を単位とした集団移転が多いことから, 将来の社会慣行はほぼ継承されている. しかし, 旧字への固執が続き, 新しいコミュニティー形成にいたっていないケースや, 旧字が分離して移転したことから補助金, 助成金等で反目している場合も生じている.
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