電子移動反応は酸化・還元反応の電子レベルでの実体であり、一般の化学反応のみならず、広く生体内反応のエネルギー変換系において中心的役割を果している。電子移動速度を制御する機構としては、分子間距離に依存する電子トンネル因子と、エネルギー・ギャップに依存するフランク・コンドン因子がある。我々は後者の役割について理論的研究を行った。 マーカスに始まる電子移動に対する伝統的理論によると、エネルギー・ギャップが反応前後の全緩和エネルギーより大きくなると電子移動速度が減少するというinverted regionの存在が予言される。これに対して、極性溶媒中光誘起分子間電子移動に関するRehmとWellerの実験結果は、inverted regionが存在しないことを示している。我々は、この理論と実験の結果の不一致を解決するために、荷電分子のまわりの極性溶媒は強い誘電飽和をおこし、分極座標に対する自由エネルギー曲線が中性分子のまわりのそれに比べて非常に大きいと仮定し、上記inverted regionが実質上存在しないことを理論的に示した。我々は、上記エネルギー曲率のちがいが実際におこっているかどうかを分子論的に調べるために、Monte Carlo simulationの計算を行った。その結果、電荷eに荷電した球状分子をとりまく溶媒分子は強い誘電飽和をおこしており、溶質が荷電状態と中性状態で溶媒運動の自由エネルギー曲率の比は約8という大きな値が得られた。我々はさらに、誘電飽和層の厚みと誘電飽和の強度を各種分子パラメータを変化させて包括的に調べた。その結果、誘電飽和は、荷電分子があまり大きくない限り、普遍的におこる現象であり、誘電飽和層の厚みは、溶媒分子半径ぐらいのうすいものであることが明らかになった。
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