ドイツの中等学校における現代理科教育の原型が確立したのは、20世紀初頭であったといわれているが、本研究はその成立過程を次のような観点から明らかにしようとしている。(1)人間形成における自然科学固有の陶冶的価値が明らかにされていった過程とその内容(昭和62年度)、(2)その価値を中等教育段階で実現させるために展開された自然科学教育改革運動の実態(昭和63年度)、(3)一連の改革運動の成果と今日的意義(次年度)。本年度は、(2)の観点から研究したので、それによって明らかになった研究内容の概容を以下に記す。 改革運動の中心となったのは、ドイツ自然科学者・医者協会であった。同教会は、1905年メランにおいて、アビトーアを受験するすべての中等学校(ギムナジウム、実科ギムナジウム、上級実科学校)の生徒の一般教育に関して次のような改革案を提示した。つまり、彼らには、一面的な言語的・歴史的陶冶も数学・自然科学的陶冶も与えられるべきではないとし、特に数学および自然科学は言語と全く同等の価値ある陶冶財として、固有の一般的陶冶の原理のもとに位置づけられるべきであるという主張のもとに、例えば、物理教育については、その課題、教授法、カリキュラム構成、生徒実験のあり方などにわたりそれまでにない総合的かつ核心をついた提案を行っている。同協会の教育委員会は、翌1906年シュタットガルトにおいて、いわゆる改革中等学校、6年制実科学校および高等女学校についても、それらの学校固有の数学や自然科学教育の形式を考えなければならないということで、その改革案を提示した。さらに、同委員会は、1907年ドレスデンにおいて、こうした各種中等学校における数学および自然科学教育に携わる教師の大学における教育に関し、そのカリキュラムや研究法のあり方について提案している。これらのことから、改革運動は多面的な角度から総合的に展開されたことがわかる。
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