研究概要 |
近年わが国では、新型恙虫病の多発が大きな問題になっている。これと機に一にして東南アジア方面、それら両地域を結ぶ台湾でも本病の増加が伝えられている。本研究は、台湾において、かかる一連の流行の共通要因を追求しようとするものである。本研究組織は、昭和61年度に海外学術調査として発足し、62年度の同研究成果概要を経て、再び昭和63年度から同一課題の国際学術研究として組織され、ここにその研究成果概要(計5年間、後者の3年間に重点をおく)を提出するものである。 1.恙虫病発生状況 台湾の恙虫病は日本植民地時代の1908年(明治41年)ごろから知られ、その後の調査で島内に広く分布していることが確認された。第2次大戦後は日本の多発な契機に1985年ごろから台湾省伝染病研究所を中心に調査が行われるようになった。同所の報告患者数(確定数)を集計すると、1985〜1990年の6年間に約660(340、死亡2)名の発生をみた。患者の発生は主に5〜11月にまたがり、6、7月の夏期に集中し、10月に小さな山がみられる。台湾本島と大陸との間にある澎気島に多発し、次で本島東部諸県に多く、主として農民や各地に駐屯する軍人にみられる。予後は良好で、日本の新型恙虫病にかなり類似している。 2.患者血清の検討 台湾大学医学院、高雄医学院の協力を得て、全島から集められた住民の血清426検体について間接蛍光抗体法(免疫ペルオキシダ-ゼ法)で検査したところ、平均54.9%が抗体陽性で、特に台東県の離島蘭嶼(96.0%)および澎湖県七美(66.7%)が高値を示した。別に行われた台中市とその近郊90検体では41.1%が得られた。それで日本および東南アジア方面と同様に、いわゆる不顕性感染者がかなり存在すると考えられた。患者血清は概して3標準株との反応特異性に乏しく、また日本各地で分離された弱毒リケッチア株との反応性も弱かった。これらのことは、日本および南方系恙虫病との関連を考える上で注目される。なお澎湖島の現地医師に依頼して集めた恙虫病患者11名の血液からはリケッチアの分離にまだ成功していない。 3.野ネズミ寄生ツツガムシの調査および病原リケッチアの分離 台湾各地の平地(1986〜1990年、7〜8月)、台東、屏東,高雄、台北、花蓮の5県で捕獲した野ネズミ5種58匹から約8500個体のツツガムシ幼虫が得られ、その90%以上がデリ-ツツガムシであった。しかし一部の地域の野ネズミからは、本種が得られないか、少なかった。中部の嘉義県阿里山(標高2,200m、1988年8月)ではタツアカネズミ、ニイタカネズミの2種19匹からはデリ-ツツガムシ以外の7種102個体のツツガムシ幼虫が得られた。澎湖島(1986年7〜8月)ではハツカネズミ、ジヤコウネズミ2種18匹から457個体のツツガムシ幼虫(約99%はデリ-ツツガムシ)、蘭嶼(1990年8月)ではクマネズミ53匹から33,000個体の幼虫(約95%はデリ-ツツガムシ)が得られた。以上のうち台東、屏東、澎湖島の野ネズミ6匹それぞれから得られた病原リケッチアについては目下その抗原構造および型別の検討が行われている。また蘭嶼のデリ-ツツガムシ2個体からのリケッチアについても目下検討中である。台湾の高地(阿里山、日本時代に恙虫病発生の記録あり)では南方系および台湾の主媒介者であるデリ-ツツガムシが認められず、代って日本の新型恙虫病の主媒介者の一つであるタテツツガムシ類似種、またカワムラツツガムシ等が得られたことは注目される。 近年、恙虫病リケッチアは媒介者であるツツガムシそのものの共生体で、しかも経卵伝達されることが次第に明かになってきた。このことに関連してツツガムシ種と病原リケッチア株との間に強い結びつきがあり、しかも病原リケッチア保有ツツガムシ幼虫は地上に時に直経数ヤ-ドの地点(hot spot)に集積生息していると推定されている。本調査で得られた上記の各種資料についても、特にこれらの観点から日本および東南アジアを通じて本病伝播のメカニズムに関して更に解析を進めてゆくつもりである。
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