研究課題/領域番号 |
63041124
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 国立歴史民俗博物館 |
研究代表者 |
岡田 茂弘 国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 部長・教授 (50150016)
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研究分担者 |
森田 勉 福岡県教育庁, 指導2部九州歴史資料館, 主査
村上 勇 広島県立美術館, 学芸員
青柳 洋治 上智大学, アジア文化研究所, 教授 (60146800)
宇田川 武久 国立歴史民俗博物館, 情報資料研究部, 助教授 (70104750)
小野 正敏 国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助教授 (00185646)
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研究期間 (年度) |
1988 – 1989
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キーワード | 東南アジア / 貿易 / 陶磁器 / タイ / マレ-シア / ブルネイ / 中国陶磁 / 考古学 |
研究概要 |
この調査の目標は、東南アジアの各国機関所蔵の発掘された陶磁器を分類、資料化し、代表的な遺跡の現地踏査を実現することにあり、2年次にわたる調査によりタイ、マレ-シアの半島部、およびジャワ島、ボルネオ島のマレ-シア、ブルネイに於ける調査が終了した。この結果、スマトラ島とセレベス島については未調査地域として残ったが、日本との比較、東南アジア内の地域差について具体的に以下が指摘された。 マレ-半島部でみると、1)9〜10世紀の陶磁を出土する遺跡は南部には少なく、中、北部に多い。中国陶磁は長沙窯、越州窯、白磁と日本で出土しない広東、福建産の青磁や白磁、褐釉壺から成る。日本では希少のロ-マングラスやペルシャ陶も多い。この時期、クラ地峡部ではシャム湾側とアンダマン海側で陶磁器の組合せに違いがあり、地域差をみる。2)13世紀では、中国陶磁は日本で大変多い鎬蓮弁文青磁腕が極めて少であり、この製品が主として日本や西方向けであることを推測させる。3)一方14世紀には中国陶磁は日本と組合せに共通性がある。4)タイ、ベトナム陶磁は14世紀に急増し15世紀迄であり、日本と異なり多量で多様である。今後の検討によって、中国陶磁器との機能の補完関係について明らかにできるだろう。5)またフィリピンやジャワ東部に多い鉄班文や小型の元染付が見られず、この時期に東南アジア内でも大きな地域差がある。元染付は、モジョケルトを中心としたジャワ東部に特に多いのは、ここがマジャパヒト王朝の中心地で特殊な状況である事を予想させる。この貿易港のひとつがツバンで、調査した沈船からの採集品は14世紀のこの地域の陶磁器貿易の実態を示すものである。大略同じ時期の日本への貿易船である新安の陶磁器群と比較し検討することで各々に特徴が明らかになると思われる。 西部ジャワでは17世紀以降の調査に主眼をおいた。東インド会社に関わるパサリカンやバンテン出土資料は東インド会社による新しい流通の実態を示している。中国陶磁は明清の交替期からの染付が多く、この時期のジャカルタの旧名をつけて呼ばれるバタビアウエア-や康煕三彩が特徴的である。この両者は日本では余り多くなく、主として東南アジアやヨ-ロッパむけの商品であることがわかる。日本の陶磁器では有田、波佐見、武雄系の唐津が少量ある。いずれも輸出用の器種ばかりであり、特に唐津は刷毛目大鉢のみの特殊な状況を示している。当然のことながら、この状況は国内での器種の組合せとは大きな違いがある。オランダ陶器も認められるが、これが一般的な商品かどうかは検討が必要である。 遺跡のあり方からは、タイのコウカオ島やリャンボ-のように9、10世紀の遺跡は港の条件と関係するのか後世へ継続しないものが多い。その中では、マレ-シアのチオマン島のように地の利をいかし、9から17世紀まで長い間、タイ湾の重要な中継港として栄えた所もある。また、マレ-シアのジョホ-ルラマ遺跡群、インドネシアのバンテン、パサリカン、ブルネイのクパンとコタバツ等、地域の中で町の移動、変遷が辿れる遺跡群があり、重要である。 コタバツ遺跡は、中世のブルネイの代表的な港湾都市で総合的に調査され、人工島に作られた港の船着場の施設なども発掘されており、当時の都市の実態が明らかにされつつある。
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