研究課題
海外学術研究
本研究はワシントン州を主とする合衆国の山村及び製材地帯における現地調査の結果と、合衆国側分担者を招聘して行った日本国内の各地山村の調査の結果とに立脚するものである。但し昭和63年度に実施した日本国内の調査はまだ取りまとめができていないので、ここでは合衆国における調査結果の概要を要約する。調査は、(1)合衆国とくに北西部における木材需給と木材価格の動向、(2)製材業経営の動向、(3)山村の経済社会構造の動向、の三分野に分けて実施した。合衆国の木材価格は、60年代中葉から80年代初めにかけて激しく変動した。とくに、70年代中期にいったん低迷していた価格は、後半に入って上昇しはじめ、丸太は79年、製材は80年にピークを迎える。また樹材種別に見ると、この時間にはサザンパインに比べてダグラスファーの方が上昇が著しく、ダグラスファーの中では高級品の方が上昇が著しい。従ってダグラスファーの主産地たる北西部は、合衆国の中でも木材市況の好転の影響を最も強く受けた地域であることがわかる。この期間の激しい価格変動の一因は、合衆国全体の住宅建築活動がほぼ3年週期で激しく上下したことにある。しかし北西部の場合は、製材用丸太及び製材品の対日輸出が著増したことも1つの背景になった。日本向けの木材は品等の高いものが多いから、それだけに輸出市場の動向が木材市況に強く影響するわけである。そして、70年以降日米の木材景気がほぼ一致して変動するようになった結果、輸出材をめぐる市況は激しく短期的に変動することとなった。一部の輸出業者が需給過進期の寡占的に価格操作を試みたことも、変動に拍車をかけた。80年から82年にかけて合衆国の建築着工戸数は激減した。83年からは日本の建築着工も大幅に減少する。これらは、北西部の木材市況に大きな影響を与えた。もっとも合衆国の景気は83年から持ち直し、木材消費も増大したけれども、価格は87年まであまり上昇しなかった。その原因の一つはカナダからの輸入製材品が合衆国市場に定着したことにある。しかしそれに加えて、供給側の事情として、二次林から産出される中小径材の利用技術が進展したこと、また製材工場が中小径材を効率的に加工できるように積極的に設備更新を進め、生産費を低減できたことが重要である。さらに合理化を志向する巨大林産企業が賃銀の切り下げに取り組み一定の成果を挙げたことも、木材価格の上昇を抑える方向へ作用した。この過程で、ワシントン州の製材工場の中でも分化、分解が生じた。80年代に入り、年間30万m^3以上の原木を消費する大型工場の設立が目立っている。研究班が直接に訪問調査した17工場のうち、3工場はこの種の新鋭工場であった。これらは、中小径材を原木として2×4、2×6などの規格製品を集中的に生産している。これに対し、原木の年消費量3〜10万m^3クラスの在来型工場は、経営の態様や製品の種類はさまざまである。その主な理由は、固有林材への依存度が高く、従って原木はオールドグロスの大径木から小径のものまで含まれることによる。販売市場は、カリフォルニアなどが主体だが日本をはじめ海外の比重も高い。この種の工場は、かなり高い立木価格を負担せねばならないが、きめ細かい採材と販売戦略によって対応している現状である。ところで、北西部の製材工場は、必ずしも都市に集積せず相当数が山村地域に分散している。これらの工場による労働者の雇用は、地域社会を支える上で大きな役割を果たしている。とくに北西部の山村では日本のように自営農業の伝統がなく、労働者はおおむね専業である。従って工場側が木材市況の変動に対処すべく操業短縮や工場閉鎖を行うと、個々の労働者の生活だけでなく地域社会全体が大きな影響を蒙る。80年代前半には、山村によってはこのような悪影響が顕著に現れた。一方多くの山村で林業・林産業の地盤低下を補うために、種々の地域産業の導入・振興が検討される気運にある。その中でも期待を寄せられているのが観光である。ただ観光立村で成功を収めているかに見える山村の場合も、運営の内部に立ち入ると種々の問題を孕んでいる。
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