1.埋墓・詣墓双方の家毎の区画を明らかにした結果、本家分家による同族のまとまりや家格を反映するような分布上の特色はほとんどみられず、これは現実生活上の同族関係・家格観念の乏しさと明格に対応している。また、詣墓石塔の悉皆調査と過去帳などとの照合から浮かび上がる画企の石塔の移動状況も現実の父系家筋観念の弱さと対応する。すなわち、墓地の空間配置と家族親族構造の特色との密接な関連が明らかとなった。 2.盆行事の詳細な観察および聞取りにより、元老会・中老会・念仏ばあさん、家の当主・カミサン・アトトリ・ヨメ等、それぞれの役割分担の様相が明らかとなり、年齢階梯制集落における葬送儀礼の在り方についての具体的知見が得られた。 3.盆行事においては、家・双方的親族・村全体という三層構造をなす祖先供養の在り方があきらかとなった。とりわけ、村に関わる祖霊は村全村で供養するという祖先供養観は菅島の特色として注目すべきものがあり、それを生み出した条件として、漁村集落としての特質、近世村落共同体の成立過程、村内婚を基調とする双方的親族関係、基層の伝統的祖霊観等々、様々な側面からの今後の研究への視角が得られた。 4.盆行事における二つの寺の明確な機能分担と埋墓・詣墓との関係から、祖霊・死霊・悪霊カテゴリ-の再検討の必要性、“埋墓=ステ墓、詣墓=供養墓"という通説への疑問が明らかとなり、両墓制研究深化のための重要なステップを築くことができた。
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