壱岐島には全国でも珍らしい散居集落が全島規模で現存しており、集落研究の上でも地域計画の上でも興味深い事例である。これは藩政期に平戸藩で実施された地割制度との関係があると言われている。 昨年度は、主に壱岐型土地利用パタ-ンについてそのフィジカルな特性を明らかにした。 本年度は散居集落の空間構造として主に屋敷廻りの空間構成について調査研究を行ない、次のような成果を得た。 (1)屋敷廻りの土地利用:宅地と、その周辺に私有されている背戸山と前畑を含めて“屋敷廻り"と呼べば、屋敷廻り全体の面積も地目別の面積もほぼ一定であることが明らかになった。更に、所有地の境界は概ね隣家と接しており、外観は複雑な空間構成でも所有地毎にまとまりがあり、集村と比較して屋敷廻りの面積は広いものの、結合の仕方は集落と類似していることが判明した。 (2)宅地内の空間構成:約10aの宅地の中に平均5〜6棟、多い場合は10棟位の建物があり、多棟性の空間構成が特徴である。背戸山を背に母屋が南面し、ホカと呼ばれる中庭を介して隠居と納屋・牛舎等が両側に、釜屋が南に位置するのが、一般的な空間構成である。しかしこの形態にも多様性と変化がみられる。 (3)居住空間の変容:母屋は講中の宿の為に広い空間と格式を備え、接客と就寝の場であり、釜屋は農作業を中心とした昼間の生活の場ともいえる。隠居は、ある年令に達すると戸主権を子供に譲って別棟隠居し、炊事も別にする。しかし戦後の多棟化傾向が最近は統合化に変っており、採取したプランの事例からも変容が観察される。 最終年は、植生・地質調査によるバックグランドを補足し、他の散居集落との比較等を通して壱岐島の散居集落の固有性と課題を考察する。
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