今年度は、先ず、昨年度の調査で判明した桂宮家とその御出入絵師片山尚景に関し、収集資料の整理・分析から研究が開始された。平戸藩の宮家の日記の記事からも分析することができ、平戸藩の資料と合わせて、造営との関係などの検討を行った。 桂宮については、この片山尚景以外にも、時代により多くの御出入絵師が確認される。桂宮家の日記を詳細に分析することを通して、時代ごとの絵師の氏名、家系、仕事内容等を整理し、特に建物の造営との関連に着目しつつ検討した。桂宮家の邸宅としては、二条城本丸御殿が旧桂宮御殿を移築したものであり、そこには多くの障壁画も現存しているので、御出入絵師の作品を直接知ることができるという点からも貴重な存在であるが、この桂宮旧御殿は、従来言われていたように今出川屋敷から移築しただけのものではなく、一度石薬師屋敷に建てられ、今出川屋敷に移築され、それを二条城へ移したものと、今出川屋敷で新築され、二条城へ移されたものの二種類がある。したがって障壁画については、ふたつの時期を想定しておく必要があり、幕末弘化期(今出川屋敷の造営時期)と寛政期(石薬師屋敷の造営時期)の両期の御出入絵師との関連を検討しなければならぬことがわかってきた。現本丸御殿のうちに、佐竹本六歌仙絵の佳吉社の絵に類似した絵によってなる4枚小襖(天袋の絵)と波に具を描く2枚小襖(地袋)があるが、これはやや古様を示しており、寛政期のものである可能性をもつことが美術史分野の研究者との合同調査の結果判明した。 このほか絵用絵師原家の文書を通して原家の絵師の活動の検討を行い、また裏松固禅について諸々の造営との関係などを分献史料を基にして分析した。
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