京都大学人文科学研究所紀要『人文学報』64号(1989年)に発表した論文「義務論理学史素描」の内容を中心にして本年度の研究業績を報告したい。ヨーロッパにおける論理学の伝統はアリストテレスの論理学に始まり2000年を超えるが、そうした論理学は今から考えてみると実は"存在的"論理学にすぎなかったといえる。しかし20世紀になって始めて自覚的に、存在的論理学とは全く別の義務論理学なるものが存在することが意識されるようになってきた。しかしそうした義務論理学が存在するとしても、その構造がどのようなものなかのは諸説あって学者によってまちまちであった。しかし筆者は、その構造を恐らく世界で最初に一義的に確定することに成功した。そしてそれは"許"、"不許不"、"許不"、"不許"といったエレメントを含む総計8個のエレメントからなる数学構造"束"に他ならなかったのである。 このようにいったん義務論理学の構造の全貌が明るみに出されたからには、こんどは逆に過去を回顧してみて、その全体構造のうちのどの部分を、誰が、いつ最初にみつけだしたのかをたどってみる仕事が生じてくる。そしてそれが義務論理学史にほかならない。そしてこの論理学史の仕事は、学問史もしくは科学史の一環であると位置づけることができる。以上の観点からヨーロッパの過去の学問を遡っていくと、不完全ながらも、ベンサム、カント、アッへンヴァル、ヴォルフ、ライプニッツ等にその萌芽があることが文献学的に確認できた。 しかし義務論理学の歴史的近世論学の創始者といわれるライプニッツから始まるのではなしに、さらにトマジウス、プーフェンドルフ、グロチウスからトマスを経てローマ法、キケロにまで遡行することも発見できた。こうした世界で初めての義務論理学史を、素描ではあるが、書き上げることに成功した。
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