ブレンターノの主要な貢献の一つである「記述心理学」に二つの目的を区別することができる。すなわち、1.すべての心的現象が、或る基本的要素の組合せとして再構成されるとの考えの上に立って、心的現象に関する「普遍記号学」を樹立すること、および2.心的現象の基本的要素そのものの分布と区分、である。実際には、彼の主著の大半は、2.の目的に捧げられていはするが、1.が彼の研究計画であることは明らかであり、この点で彼の哲学はデカルト、ライプニッツの伝統を継ぐものであるとともに、半世紀後のカルナップの『世界の理論的構築』のような構成体系との思想史的連関を持つと言える。しかしブレンターノはカルナップ達のように記号論理を利用することができなかったこともあり、基本的要素からより複雑な心的現象への構成については多くを明らかにしえなかった。(但しこれとは別に、彼の論理研究の存在論的意味や歴史的背景は重要である。)2.の心的現象の或るもの、ブレンターノ学派のいわゆる「内的知覚」の分析は、ウィーン学団のシュリックの「観察文」の考えと非常に近い。両者にとって、基礎的明証(ないし証拠)を述べる文とは、それが明証(証拠)として現れる当の主体の存在を含意するような文である。知識の基礎は、それ自身で正当化され、かつ心理的主体の存在を含意するといえるような或る心理状態にある。(カルナップは「観察文」の意味をもっと緩く取り、文の理解とその検証を切り離した。)ここでいえることは、知識の基礎の有無と科学の基礎の有無とは別個の問題とみなしえないか、ということである。シュリックは第一の問題への肯定的解答が直ちに第二の問題へのそれを生むと考えているが、ブレンターノの立場ではそうではないと言えよう。この意味でシュリックは、ブレンターノ学派とカルナップやノイラートに代表されるウィーン学団との中間の立場を取ったことになる。
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