研究概要 |
1.本年度はとくに,オ-ストリアに実証主義哲学の興隆をみた背景となる科学史的事実と,これに対する哲学者の反応について研究した。1866年にブレンタ-ノによって宣言され,彼の学派が発展させることとなる「科学的」哲学は,認識論的には心理主義の制約を免れないものではあったが,そこに示された態度は,グロ-バルで空虚な科学一般についての話(「科学論」)を排し,個別的な科学を可能にするものについて考える立場に立とうとするものであり,またこうして,厳密な論証と経験の尊重というアリストテレス的伝統が承継されるとした。この主張の最初の部分が,ウィ-ン学団にもウィトゲンシュタインにも,それぞれ違った形においてではあるが,受け継がれたと言える。またこのような立場は,(1)プレンタ-ノおよび彼の学派では、カントやドイツの観念論的形而上学への反対となって現れたが,(2)ウィ-ン学団においては,その上,実証主義的傾向の強い科学解釈とその上に立った方法論的主張として現れた。両者を分ける時期には,論理学,数学基礎論,物理学における相対論と量子論の出現が哲学的思考の形式にも革新を求め,これに応えるためにはウィ-ン学団の哲学者たちはブレンタ-ノ学派のアリストテレスースコラの伝統に留まっていることはできなかった。この点では二十世紀オ-ストリアの実証主義哲学をブレンタ-ノ学派に直結することはできない。2.他方,ウィ-ン学団そのもののなかにみられる,ノイラ-トによって最もよく代表される語用論的傾向は,(彼の物理主義とともに)第二次大戦後の英語圏世界の哲学に指導的地位をしめるクワインに引き継がれただけではなく,また科学の発展に関する重要な知識社会学的仮説を示したT.ク-ンにも共通するものであった。これらはいずれも,「哲学の方法は経験科学の方法以外のものではない」としたブレンタ-ノの信条を,近代的な形で承継するものとみられる。
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