六朝隋唐期に編纂された上清経と霊宝経を中心に、そこに現われている道教の宇宙論・世界観に関する資料を収集し、それらを思想史的観点から分析した。その結果、東晋の後半期に先ず上清派の人々によって終末論が唱えられ、その後、東晋末期には葛氏道お天師道の道士たちも終末論を説くようになり、東晋末期から南朝梁に至る間、道教徒たちの間で終末論が広く信じられていたことが明らかとなった。 道教の終末論とは、近い将来にこの地上の世界に大災が発生し、天地は崩壊し、地上のすべての悪人は死滅するが、善人である種民(種臣・種人)のみが生き残って、終末後の太平の世で金闕後聖帝君(聖君・真君)にまみえることができる。という思想である。この終末論は前漢の劉〓が作成した三統暦にいう陽九・百六の歳災の思想と仏教の劫災の思想とに基づいて形成されたものであるが、終末論の形成の歴史的経緯とその思想の構造が解明されたことによって、道教の宇宙論・世界観の形成の過程とその構造が明確になった。道教の三十六天説も仏教の宇宙論を模倣して形成されたものであるが、三十六天のなかの四種民天は劉宋末・南斉初の天師道が終末論に立脚して案出したものであることも、本研究によって解明された。 また、終末論は上清経や霊宝経の作成にも関連しており、道教の主要な教典である上清経と霊宝経は東晋・劉宋期の終末論を背景にして形成されたものであることが明らかになった点も、本研究の成果である。 以上の研究成果は三篇の論文にまとめられており、そのうちの二篇は既に公刊されたが、残りの一篇も引き続いて公表する予定である。 今後は、上清経と霊宝経を中心に、道教の修道論を分析する予定である。
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