研究概要 |
Ku^^-rmapura^^-naは全体として自らPa^^-s^^'upataと名乗るS^^'iva教徒の聖典であったと考えられる。R,C.HazraはKu^^-rmapura^^-naは元来Pa^^-n^^〜cara^^-tra派の文献であり、さらにPa^^-s^^'upata派の編者が改作を行って現今の形をとるに至ったと考えている。しかし、本年度Hazraのこの説をあらためて吟味し、かつKu^^-rmapura^^-naの前半部をPura^^-napan^^〜calaksanaテキストと比較調査した結果、Ku^^-rmapura^^-naの下敷となっているのはPa^^-n^^〜cara^^-traの派文献ではなく、むしろなんらかのまとまったPan^^〜calaksanaテキストであることが確認された。さらに、Ku^^-rmapura^^-naとPan^^〜calaksanaとの照応部分を一一吟味した結果、前者は後者のテキストにS^^'iva教的修正を施し、こらに随所にS^^'iva神にまつわる神話伝説やS^^'iva信仰の儀礼・生活規範についての記述を挿入して編集せられたものであることがほぼ明らかとなった。一部にPa^^-n^^〜ca^^-ratra派の影響が見られることも確かであるが、なぜその派がK^^-urmapura^^-na編纂に際して影響を及ぼしえたのかはいまだ明らかではない。 Ku^^-rmapura^^-naの後半部には名高いI^^-s^^'varagi^^-ta^^-が収められているが、これがBhagavadgi^^-ta^^-を模範とするPa^^-s^^'upata派の文献であることもおぼろげながら浮び上ってきた。Ku^^-rmadura^^-naの編者たるPa^^-s^^'upata派はこのように折衷的傾向の強いかなり穏健なS^^'iva教徒であったと考えられるが、同派の教義の詳細はいまだ解明しえずにいる。
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