(1)霧島周辺地域旧志和池郷の荒ケ田、平原両村落に厳存する「かくれ念仏」信仰は、自集団を「シント」と称し、「ブッド」と対立する形をとる一方で、「シント」内においても「シント」/「非シント」あるいは「流れ」/「流れ」の対立を持ち、自集団の成員以外には信仰内容を隠そうとする。当該地域の「かくれ念仏」信仰は、二重の対立構造を持ちつつ存続変容してきた。 (2)各家族の成員全てが信徒とならず、「家」が信仰の細胞となり、各「家」を代表する親夫婦一組が信仰の伝達継承の主体を構成している。したがって、信仰主体の交替は平均約50歳前後で行われる。 (3)「シント」になる際には、擬制的親子関係(「オヤコナリ」)が結ばれる。入信の可否は「仏飯」の様態によって「寺元(ニオヤ)」が判断する。「シント」は「寺元」を頂点とするヒエラルヒ-を組み、メンバ-の認知の体系としているが、「寺元」は「シント」の葬送・魂の送りを行いうる宗教的指導者である。 (4)「御座」は「シント」が自らを「ブッド」から区別する最も重要な領域である。「御座」には、(イ)病気治療、不安の立て直し、成功祈願、誓願などを目的に「寺元」の家に「シント」が参集して行うもの、(ロ)年中行事化したもの、(ハ)入信儀礼、(ニ)葬送後7日以内に、死者供養のために行われるものがある。(ニ)の「御座」は、霊能者が神がかりになって、祖霊の補助によって死者に成り変わり、生者と交通し合う場面である。この地域の「かくれ念仏」信仰は、神がかりへの強度の社会的信頼を共有しつつ展開してきている。 (5)「シント」は荒ケ田で3、平原で10の「流れ」に分かれ、信仰を保持してきている。この「流れ」間には、経文と儀礼慣習の内容に関して、種々の点で差異が観察される。
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