1.カンディンスキー自身の著書(テキスト)の面から。1912年刊行の『芸術における精神的なもの』は、当初『絵画における精神的なもの』とのタイトルで出版される計画であった。このタイトルの変更は、殊に1910年以降に、この画家が受けた影響の結果とみることができる。『精神的なもの』の「一般論」中の「序論」、「運動」、「精神の転換」、「ピラミッド」及び「結びの言葉」は、後補の部分と考えられる。「運動」の中には、H・P・ブラヴァッキーの『神智学の鍵』、R.シュタイナーの『神智学』から、その思想の要約があり、画家の関心度が示されている。この『精神的なもの』を補足しているのが『回想』であり、芸術と宗教との類似を強調、自分の芸術観がキリスト教的であり、聖霊の啓示を受容する要件を具備しているものが「純粋芸術」である旨を設き、さらに画家自身の製作活動の源泉、「絵画上の音叉」としての「モスクワ」に言及する。この背景には伝統的なロシア人の召命観が認められる。 2.作品の変遷の面から。すでに1908〜09年にはムルナウの風景を背後に複数人物を配し、その姿形、色彩の対比により、さらには《モスクワの婦人》(1912)などの作例には、ジュタィナーの色彩形態論を展開したA・ベサント、C.W.リードピーターの『想念形体』の影響が認められるが、これは一時期の試みと判断される。 1910年より《即興》と名づけられる作品が製作されるが、その主題、モティーフは殆どが画家の内面的イメージとして宗教的主題、殊に終末観的なテーマを描いており、さらにムルナウの民俗工芸ガラスを契機に、《即興》、《コンポジチオン》と展開する大画面は、悉くロシア的終末観に基く作品で、ロシアのイコンの直接・関接の影響が顕著である。その思想的基盤には、ソロヴィヨフ、さらにメレジェコフスキィなどのロシア後期象徴派の終末観的思想に支えられた黙示録の画家独自の解釈が表われている。その際、非対象化の手法採用には、M.ヴェレフキンの影響が顕著。
|