本研究の主旨は「聖ドメニコ墓碑」や「埋葬」や「システィーナ礼拝堂天井画」などにおけるドメニコ派(英語ではドミニコ派)との関係の検討であり、その結果としての「最後の審判」の図像の研究であった。 本年度はドメニコ派的図像を検討し、二つの論文《ミケランジェロ作「ミネルヴァのキリスト」の主題について》(府立大学紀要)と《ミケランジェロ作「最後の審判」に隠されたバッカス祭》(人文学論集)においてその成果を示した。その二論文ではミケランジェロによるドメニコ派的伝統的図像の革新が検討されている。それは、救済ととりなしの図像すなわち〈リンボのキリスト〉の図像の古代ローマ美術の応用による革新である。さらにそれは時事的問題となっていた教義上の問題にまで及んでいる。この救済の図像は、特にイタリアのドミニコ派の教会において好まれたし、ドイツでもデューラーの版画で普及した。そのデューラーが絵画を制作したヴェネツィアのドメニコ派教会において、デル・ピオンボもまた制作に従事した。その後にローマに来たピオンボは、ミケランジェロに協力して下絵を油彩画にした。その協力関係と取上げた図像とはドメニコ派の救済の教義によって初めて説明できる。こうしてドイツとヴェネツィアとローマとを結ぶ思想上、図像上の連鎖とともに、「最後の審判」の制作意義も明らかになる。それはルターの宗教改革が提起した問題、つまり聖職者の救済権限である。その問題に「最後の審判」は〈リンボのキリスト〉の変形図で答えた。ところで最近ル・ゴッフの研究によってリンボによる西欧的思想形成の歴史が明確になりつつあり、本研究は期せずしてル・ゴッフの研究を美術史の面から補充する結果になり、そのリンボとの関連の指摘が本研究の斬新な面となった。その成果はミケランジェロの初期・中期の作品の検討も交えて、来年度に発表を予定している論文で、より明確にしたい。
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