本研究の目的は、就学関係の調査、統計の数値に違いがあることを考慮し、「実際に」学齢児童がその位存在し、就学は「実際に」どのように増加したかを明らかにすること、それがどのような経済的要因と関連しているかを明らかにすることにあった。 そこで第一の課題は、実際にいた児童数を統計とは別の材料中に求めることであるが、本研究では対象村長野県埴科郡旧五加村役場文書中の『加除籍簿』『年別帳』『人口調査帳』『出入寄留簿』『工場法第十六条証明願綴』『学齢簿』、五加小学校文書中『学籍簿』等から児童名を得た。これら児童名は1886年から50年間約5800人になった。死亡や転出が理由で削除した児童名もあるので、5800の人名を得るために8種以上数10冊に及ぶ帳簿の延5万人以上の人名を検討したことになる。しかし、帳簿の種類が多いためかえって存在したことが断定できない人名が発生した。これは人口移動の増えた大正期以降に多い。 第二に、小学校蔵『学籍簿』『修業生名簿』『卒業証書番号簿』を用いて就学、中退、卒業を確認した。 第三に、児童名を採集する過程で得た保護者名と1900年以降の『所得調査簿』を対照し、約7割の児童については保護者の所得、土地所有のデ-タを得た。以上の作業を完了し、デ-タベ-スソフトを用いて入力した。 ところが、分析にあたっては、大正期以降に確定できない人名が一定数あること、本研究の対象とする就学者増加は明治期に上限に達したことなどの理由で、明治期についておこなった。また、報告書も明治期のデ-タについて作成した。
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