1.文献資料などとともに、聞書で得られた大工などの職人の伝承資料を使用して、大工職人における集団組織の実態を探ってみた。民俗学的な方法による主な調査地は、新潟県新潟市・同県西蒲原郡巻町・京都府京都市・滋賀県大津市などである。 2.伝統的社会における職人組合は、大工組合・職工組合・太子講などと称されていた。そうして、職人組合は同じ職種で構成されている同職型組合、異なった職種で構成されている異職種組合があった。同職の職人が少ないと、他の職種の職人とともの異職型組合を設立することもあった。仕事の情報を得るために同職型組合だけではなく、異職型組合に加入することもあった。また、親方で組織されている親方組合、一人前の職人で組織されている職人型組合、親方と一人前の職人で組織されている合同型組合があった。この合同型組合は後になって設立されたものと考えられる。親方には数人の一人前の職人を雇う人もあれば、職人を雇わない1人親方もいた。職人組合の活動は、主として前者によることが多い。職人組合における主要な前事の一つとして、太子講が開かれていた。太子講は大工・左官・建具屋などによる職人の講である。聖徳太子は寺院建築の祖と信じられており、大工たちが聖徳太子を祀る。毎年正月・5月・9月などに、各家な当屋の家に聖徳太子の掛軸を掛けて、技能の向上、家業の発展を祈願するとともに、年間の計画、手間賃のとり決めをした。職人のものの考え方の変化、地域社会の変化、産業構造の変化などによって、この行事は廃れてきている。 3.将来の課題(1)職人組合は、地域社会の条件によって性格が異なっているので、そのことについて研究を進める必要がある。(2)大工職人以外の建設関係の職人組合、例えば、左官組合・建具職組合・鳶職組合などについて、その実態と性格を明らかにしたい。
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