北関東上野国の村落のフィールドワークを通して広く民衆生活史の基盤から近世村落文化の究明に努めて来た。第一に上野国勢多郡原之郷村(現富士見村)を取り上げ、なかでも船津伝次平家の襲蔵文書の調査を進めた。第二には同じく箱田村(北橋村)に注目し、根井弥太郎家・今井藤三家の文書を中心に調査にあたった。第三には、多野郡馬庭村(吉井町)の念流宗家樋口家の文書整理に努め、漸く目録が完成しようとしている。こうした文書調査の上に石造物を中心に野外のフィールドワークを実施し、筆塚、筆子塚・句碑等、関連石造物を収録した。 近世村落のその成立期から、文字文化が存在したことは、村に襲蔵される支配の文書、検地帳、宗門人別帳、年貢割付、皆済状等から判明する。こうした支配のための文字文化が村落の小農のものになるのは十八世紀に入ってからのことであった。小農の経営の自立・発展を反映する家産に関する記録から窺うことが出来る。文字文化の小農への普及を示す典型が手習塾の成立である。手習塾については、筆子塚の調査において概容を押え、個別の詳しい実証は、原之郷村船津伝次平二代が経営し「九十九庵」について行なった。筆子の実態、学習課程、師匠の教養、村落内部での位置等について分析を深めることが出来た。 なお、村落文化の比較研究については、西日本の近江の村落についてフィールドワークに心がけている。来年度の課題としたい。
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