課題研究を遂行するためには、幕府勘定所関係史料の渉猟・蒐集が不可欠であったが、幸いにも幕府財政状況を示す貴重な史料を得ることができた。その一つは、「当申年御入用積書付」であり、これによって天明期の幕府財政状況の概要を把握することができた。二つめは、「天治元子年金銀納払御勘定帳」・「元治元子年米大豆納払御勘定帳」であり、ここから崩壊直前の幕府の財政状態を明らかにすることができた。前者、すなわち天明期のものは見積書であるため、正確な実態を把握することはできないものの、いくつかの興味深い知見を得ることができた。第1は、収支において、完全ではないものの、経常収支部門と臨時収支部門の区別があり、この頃から幕府財政会計上の変化があらわれたと予想されること、第2に、京都御所炎上・再建に伴う支出として金30万両余・米1万石余が予定されていたこと、第3に、この年の見込総収支は、金方が総収入143万両余・総支出139万両余、米方が総収入52万石余・総支出47万石余であったこと、等々である。元治元年の財政状況については、1.元治期の年貢収納量は、天保〜文久期の水準を維持し、金方収支においては貨幣改鋳益金に大きく依存しながら均衡を保っていたこと、2.将軍上洛・長州征伐等は、米金の移動の様態を変化させ、幕府御蔵を経由しないものが増大したこと、3.軍事動員によって負担が増加した大名・旗本に対しては、馬喰町貨付金による財政援助が積極的に実施されていたこと、4.大名の上納金・御手伝金・貸付金・拝借金などは、将軍上洛供奉・留守警衛・進発(長州征伐)供・野州賊徒追討などを理由に上納・返納が猶予され、大名の負担のあり方が軍事優先へと変化していたこと、等々が判明した。 幕府貯蓄米金については、幕府金・米蔵が10カ所をこえるため全体すべての把握はできなかったが、奥金蔵金については推移を解明した。
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