上記研究課題に関する今年度の研究成果は、以下の通りである。 1.わが国の年中行事が朝儀として明瞭になって来るのは、平安時代の弘仁期前後からで、それ以前の奈良時代の実態は余り明らかではない。そこで(イ)国史の記事の性格の検討、(ロ)国史以外の年中行事資料を当時の文献文書、金石木簡資料等を総合的に調査した結果、 (1)国史の記載以外にも、奈良時代に多くの年中行事が実際に行われたことが確認ないし推定できること、 (2)続日本紀は、基本的に年中恒例の行事を載録しない方針であり、これは中国の史書の中に既に認められること、 (3)しかしその行事が通常とは異なる月日・場所・儀式内容であったり、特に外国使臣の出席があった場合や福祉行政的施策を伴ったものであった場合には、国史の記事として書き留められたこと、などが明らかになった。従って国史の記事のみで奈良時代の朝儀の実態を推測することは、かえって当時の常態を見失う恐れがあり、沈黙の史料に慎重な配慮を要することが指摘されるであろう。 2.奈良時代の主要な年中行事である雑令にみえる正月一日以下の七節日の成立とその背景を考察した結果、少なくとも次の点を明らかにした。 (1)日唐間の節日には相違があり、その相違は両国の風俗習慣に由来するもので、大陸の節日観を移入するに当り、わが国の自主的判断が働いていたと推定されること (2)七月七日の節日は、星に対する信仰がないわが国においては、容易に受容されず、その成立は最も遅かったのではないかと推測される。 3.年中行事ではないが、年中の祭祀を含め大嘗祭と天皇の即位儀礼・祭祀について考察し口頭研究発表(神道史学会)した。今後、2の節日の研究と3の祭祀儀礼をさらに推進する必要を痛感している。
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