モンゴル帝国成立史の精密な分析・検討のために、その基本史料の厳密な研究を行なうことが必要との観点から、『集史』等の徹底的な史料的研究を行なうとともに、その基礎の上に立って、テムジン=チンギス・ハンとケレイト部の関係の研究と、関連史料の厳密な比較を行いながら実施した。そしてテムジンとケレイト部の関係の中心である同部部長オン・カンとの関係とりわけオン・カンが父、テムジンが子と称した関係の検討・分析を重視した。だがこの問題は複雑多岐に亘るため、特に初期の父子関係に焦点を当てて研究し、以下の如き知見を得た。テムジンがボルテと結婚し、ボルテの母がくれた黒貂の毛皮の外套をオン・カンに贈って挨拶し父と称したのは、恐らく1180年代初めか1180年代前後であろうこと、このとき二人が正式の父子関係に入ったとは思われず、一部の研究者が言うような、テムジンがこのときオン・カンの家臣となったということもなかったと思われるとの結論を得た。そのことを論証するために、テムジンがオン・カンを父と述べている『モンゴル秘史』94節と104節の記事を分析し、またこのときから再び父子を称したことが史料に出てくる1190年代中ごろに至るまでの二人の交渉を分析し、二人にはこの間ほとんど交流はなく、ボルテがメルキト部に奪われたさいの奪回作戦も『秘史』の作り話であり、当時それほど緊密な結びつきはなかったらしいこと、またそののちのテムジンの所謂第一次即位のオン・カンへの報告も、即位の承認を求めたというようなものではなく単なる報告であったに過ぎなかったと思われることを述べ、結局オン・カンとの関係は、この時期のテムジンにとって、それほど重要なものであったとは言えないことを論じた。今後1190年代中ごろ以後のオン・カンとテムジンの父子関係について研究し、テムジンのケレイト部との関係を把握し、モンゴル帝国成立史の核心に迫まれるように努めたい。
|