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1988 年度 実績報告書

1919年代〜20年代の中国の社会構造-とくに両湖を中心として-

研究課題

研究課題/領域番号 63510203
研究機関佛教大学

研究代表者

清水 稔  佛教大学, 文学部, 助教授 (00093039)

キーワード両湖地区の辛亥革命 / 五四運動と民衆 / 革命派と立憲派 / 反帝国主義と反軍閥 / 民衆レベルの革命 / 革命と反革命
研究概要

辛亥革命は、二千年来の王朝体制を打破し、「共和」の政治体制を作り出した。アジアに初めて出現したこの共和制は、王政復古をもとめる保守反動の策動を排除し、その後も維持し続けられた。中華民国が成立し、政権が孫文から袁世凱に委譲されると、袁をはじめとする軍閥諸勢力と、それに抵抗する孫文ら革命諸勢力との抗争対立が歴史の新たな局面を作り出した。それはまさに共和の看板の名実を争う「革命と反革命」の歴史であった。その相剋ののなかから反軍閥・反帝国主義の運動が、国民的規模で高揚してきた。それが五四運動であった。この運動を契機に農民・学生・知識人らを基盤とする新しい勢力が、歴史の表舞台に登場し、辛亥革命が達成しえなかった「共和の理念」と「真の共和」の実現に向けて活発な動きを展開していくことになった。それらを代表するものが国民党と共産党である。五四以後の反軍閥・反帝国主義の闘いはそれらの政党を軸に進められた。このような歴史認識のもとに、本年度は湖南・湖北における辛亥革命の政治過程を考察し、次のような諸点を明らかにすることができた。1.政治的にみて革命派の数的力量はあまり大きくはなかったが、質的には極めて高度であった。それは革命秘密結社がいくどとなく破壊されたにもかかわらず、その組織を継承・温存してきたことによる。2.辛亥革命の成功は、革命派の功績とのみいいきれない。それは当時対立関係にあった立憲派との連合にも起因しているからである。3.革命派・立憲派は必ずしもはっきりと2極に分化していたわけではなく、未分化の部分が多かった。4.革命の勝利に兵士・会党が大きく貢献した。革命を単に革命派と立憲派のヘゲモニーの争奪とみるのではなく、民衆のレベルでも革命へのリアクションが積極的に進行していたと考えるぺきである。

  • 研究成果

    (1件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (1件)

  • [文献書誌] 清水稔: 鷹陵史学. 14. (1989)

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公開日: 1990-03-20   更新日: 2016-04-21  

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